ロサンゼルス日和り

東京からロサンゼルスへ、暮らし、旅、食にまつわる日々の記録

OHSSで緊急入院、地獄の痛さ

先週土曜にスープとピザのランチを食べてから、妙に右の腰が痛み出しました。

 

一応もらっておいた強めの鎮痛剤はあるものの、なるべく薬を飲みたくなかったので(ここで飲んでおけばよかった。。)そのまま我慢すること一時間。痛みがピークに達し、声も出ない程の痛み。。。

 

まずかかっている不妊治療クリニックへ電話すると、すぐに救急へ行って下さいとのこと。

 

あー、ついに、と思いつつあまりの痛みに救急へ行く10分も耐えられない程だったので、行って正解だったかと。最寄りのCedar-SinaiのEmergencyへ乗り入れ、簡単なバイタルをとられ、待合室で待つこと約20分。やっとベッドへ移動。

 

すぐに看護士さんが来て、右手にぶっとい点滴用の針を打ち込みます。。。いったー、と思いながらも、早く痛み止めを、と思っていたら、そこからまた一時間くらい待たされました。もう静かになんてしていられず、思わずfワードを連発するくらい叫びまくっていました。

 

そうこうして泣きじゃくっているところへ、極めて冷静沈着(過ぎてぶん殴ってやろうかと思ったくらい)の産婦人科医登場。こっちがこれ程痛がっているのに全く焦る様子もなく、モルヒネを打って帰って行きました。

 

そう、モルヒネ。。。。。。。(まだお腹の赤ちゃん5wなんですけど。)さらにモルヒネで効かないともっと強い薬を打ったこの先生。

 

鎮痛剤の影響で吐き続け吐き続け、それでも痛みはまだあるという恐るべし状態。。。

 

そうこうしているうちに、階下の超音波の部屋へ移動させられ、そこで超音波で子宮の様子などの様子を見ます。この間も痛みが収まらず、何となくドックドックという心拍のようなものが聞こえた気がしたんですが、それが赤ちゃんのものなのか(だったら初)、私のものなのか判断も着かず、とにかく叫びまくってました。。。

 

そして、待つこと2時間。夜9時頃になってやっと部屋が空いたらしくその日から入院。何も食べていないのに吐き続けてるから、お腹の中は空っぽ。オレンジジュースなら消化できるかと思って買って来てもらったのに、それも飲んだら全部吐く、みたいな状況。

 

とにかく、痛みをとるに鎮痛剤を打つ必要があり、でもそうすると吐き気が収まらない。吐き気止めももらっているけど、胎児のことを考えると一つでも薬は減らしたい。でも、そうすると吐く、みたいな悪循環のループ。

 

うとうとと眠っては起きて、吐いて、看護士さんを呼んで、排泄物のチェックをしてもらい、で一晩過ぎました。。。。。。。。あと脚がむくむといけないということで、脚にずっと圧をかけるマッサージ機が付けられており、これを勝手に外すとステーションに連絡が行きます。

 

そんなこんなで、翌日からはIVから来る薬はどうやら強い、ということを認識したので、経口薬のみをお願いしました。薬がきれたらあの痛みがまた襲って来る可能性もあったので、ドキドキしながらでしたが、なるべく強い薬は飲みたくない、という気持ち一心、そうお願いしました。

 

すると、少しずつ吐く量も減り、夕飯はサーモンなどを食べることもできる様に。

 

ただ一点IVに繋がれている状態が本当に面倒で、トイレに行くにもベッドに横になるにも大変でした。しかも、私IVって針を腕に刺してるんだとずっと思っていたので、腕の曲げ降ろしにも注意してたからかもしれません。

 

ただただ、モルヒネなどという劇薬を妊娠中に打ってしまったという後悔で涙が止まりませんでした。こんな大事な時期に。なんで、なんで、自分を責める。その後、いくつかセカンド、サードオピニオンをとりに、紹介されたWomen's ClinicやUCLAのHigh Risk Clinicへも行って、この数週のオピオイド薬の影響について意見を聞きました。結果、人間の胎児には薬の影響、症状は特に認められていない、とのことでしたが、母としての気持ちは、万が一を考え続けてしまいます。

 

本当に家に帰りたくて、早く症状を改善しようと努力し、3日目には出られることになりました。家に帰った時の安堵感と言ったら。

 

やはり、フレッシュサイクルでの移植は無理があったのかもしれません。

 

ここらへんの副作用についてきちんと説明をしてくれなかったクリニックへ怒りもあります。ただ、このクリニックがなかったら、今頃この子はここにいなかったのかも、と思うと、一概に文句も言えません。

 

とりあえず、今は卵巣ちゃん達が小さくなることを祈ることと、胎児の健全な成長を願います。